通関士試験に合格後、通関士として独り立ちするまで、どんなプロセスだったかを振り返る。
私が就職した航空貨物のフォワーダー(利用運送事業者)では、通関士資格を持っていても、入社1年目は通関士の確認をしてもらえない。通関士と名乗れるようになるには、約3年の修業が必要だった。
実は、入社したとき通関部門で働きたいとは全く思っていなかった。研修期間中、通関部門で実際の業務を教わったのだが、やることが地味な印象が強く、面白いとも感じなかったからだ。それに海外勤務をするのが夢だったので、そのチャンスをつかむには営業部門しかないと思っていた。
通関部門で働きたいと思っていなかったので、通関士資格を持っていることは会社に伝えていなかった。
ところが、研修期間が終わりに差し掛かったころ、部門長から通関士資格を持っている者は手を挙げて!という確認があった。正直に、そして仕方なく手を挙げた。
そのとき配属先が決まったと思っている。いま振り返ると、人生の大きな分かれ道だった。
通関部門に配属された最初の2年間は、通関の仕事がやっぱり面白くなくて、毎日眠たかった。イージーミスを通関士の審査で見つけられては、お前寝ながら書類作っただろうと、冗談半分に言われることもあった。実際に脳みそは眠っていたと思う。
とにかく簡単な貨物の申告書を大量に作っていた。
通関での仕事が面白くなり始めたのは、入社3年目ころ。
HSコードがわかるようになってきて、輸出貿易管理令の基本も理解でき始めた。通関士の確認も取ってもらい、通関士として審査・申告もできるようになった。
もともと、いろいろ調べたりするのが好きだったので、会社にあった資料は人一倍読んでいた。自然と法令を読み解く基礎もできていったと思う。
そのほかにも、電子部品、半導体製造装置、プラスチック、化学品、自動車の入門本を読んで、浅く広く学んで商品知識をつけていった。
大変だったのは、とにかく時間に追われること。これは航空貨物を扱っていたせいでもある。
そして、通関を全く理解していない、通関を面倒としか思っていない人たちに対して、書類の確認・問合せが必要になったときには本当に苦労した。通関業者の言うことに全く聞く耳もたない、話の通じない人たちもいた。
通関業者で働くと、書類を通していろいろな会社のことを知ることができるし、世の中の動きを敏感に感じ取ることもできる。守秘義務があるので頭の中にとどめておかないといけないこともある。通関の仕事は面白い仕事だといまは思う。
結局、希望していた海外勤務はできなかった。でも、予想外に通関の仕事が自分に合っていた。